ホリクロ雑記

24歳男性大学院生のブログ

思い出の写真はアルバムに保存するだけでいいのかもしれない

Googleフォトを眺めると、時々、あまり思い出したくない思い出の写真や、感傷的にさせる写真などが出てきて少しだけ辛くなる。

 

これまでにHDDがクラッシュして大切なデータを失ったことが二度あって、一部期間の私の写真はこの世に存在していない。そのトラウマもあって、大事な写真はプリントしてアルバムに保存し、バックアップは大事にするようになったが、Googleフォトの容量無制限化により、クラウドにまで保存するようになった。

 

Googleフォトに保存することで、どこでも写真を見られるようになったし、人物やジャンルごとにソートしてくれて、検索も容易になって、「ああ、なんて便利な時代になったんだ!!Google最高!!」と、登場時はとても喜んだが、最低でも月に2回は、Googleフォトによって古傷を抉られている。

 

…そいえば、写真をそんなに残す必要性ってあるんだろうか。

 

フィルムからデジタルに変わり、携帯電話のカメラの高画質化が進んで、SNSも使うようになり、現代の人は写真をたくさん撮るようになった。

ただ「SNSに上げたいから」とか「記念に撮っておこう」というすっごく単純な理由でで写真に残すようになり、楽しい思い出も嫌な思い出も、すべて記録されてしまっている。場のノリでパシャパシャ撮ったりもするわけで、後で振り返ってみるとほとんどが自分にとって価値の無い写真だと気づく。

 

大学生活を始めてから、1年間の思い出深い写真を80枚収納できるフォトアルバムに入れて保存するようにしているが、なんだかんだで大事な写真は80枚で収まりきるもんだ。もちろんアルバムに収めている写真にも、思い出したくない写真というのはあるけども、厳選して自分で選んだので、そこまでダメージは大きくない。

きっと、厳選したアルバムだけ保存していれば、思い出というのも良いように整理され、ほろ苦い思い出も良い思い出も、バランスよく思い出せるようになる気はするし、前向きになれるだろう。自分にとってもそれが向いている気はするし、精神衛生上そっちの方が絶対良いはずだ。

 

それでも、今となってはあまり思い出したくないものに変わってしまった写真のデータなどを消せずにいるのは、「いつかこの写真を良い思い出だったと振り返られるだろう」という希望的観測をしているのか、それとも単にデータが消えることへの恐怖に縛られているんだろうか。

 

 

こういうのって、ある意味現代病なのかもしれない。